なぜ人は死すべき運命なのか
多細胞生物には何故死すべき運命が定められてるのか?*1
生物個体をドーキンス的に「遺伝子の乗り物」と考え、子孫を残した遺伝子を適応的な遺伝子と考えれば、個体の生殖期間(≒寿命)が長ければ長いほど同じ遺伝子を増殖できるチャンスが増えるわけだから、寿命を延ばすことは適応的に思える。
つまり高寿命の個体ほど適応率が高い。
これは小卵多産戦略でも大卵少産戦略でも変わらない。
つまり、長生きできる個体ほど子孫をたくさん残すわけだから、長い年月がたてば長生き個体の子孫(親から受け継いだ長生き形質の持ち主)ばかりになる気がするじゃない?
でも、人間以外の哺乳類は、寿命が人間よりずっと短いよね。
なんでだろう?
『象の時間ネズミの時間』という本があって、それによると体重と寿命には強い相関があるんだそうな。
その例外が人類。
体重のわりに寿命が長い。
ところで、同じ体重だと、
鳥類は寿命が長い
哺乳類は短い
という傾向がある。
ちっちゃい小鳥は10年とか20年とか生きるけど、同じくらいの大きさのハムスターは2〜3年が寿命。(体重で比べれば、この差はさらに大きくて、20グラムくらいの小鳥より100グラムくらいのハムスターの方がずっと寿命が短い)
それはなぜか?
個体損耗率。
上の議論には、この観点が抜けてるんだよね。
病気になったり捕食者に食べられちゃったりして、どんどん死んじゃうんだよね、野生生物は。
極端な話、1年で半分が死んじゃうんなら、10年後には1000分の1になっちゃうんだよね。(2分の1の10乗=1024分の1)
千匹いた個体が一匹になっちゃう。
これで10年生きる形質にどんな価値があるだろう?
だいぶ価値は下がりそうだよね。
それでも価値は残る。ゼロではない。
でも、遺伝子には複写ミスによる劣化が常に付きまとうんだよね。
発生の初期に生殖細胞を確保したり、DNA転写校正で劣化を防いだりという仕組みも進化してきたけど、完全に複写ミスをゼロにはできてない。
この複写ミスが個体損耗率による生き残りを上回れば、それが寿命を伸ばしたほうが有利になるという淘汰圧の上限になる。
空を飛べる小鳥は同じ大きさのハムスターより捕食者に捉えられる率が低いだろう。
つまり個体損耗率が低い。
だから長生きできる小鳥は同じ大きさのハムスターより長生き形質の有利さが大きい。
それに鳥類って恐竜の子孫なんでしょ。
新生代よりはるかに長い中生代、ちっちゃなニッチにしがみついて生き残ってきたちっちゃな哺乳類より恐竜の方が損耗率が低かっただろうから、そのぶんなんぼかでも長生き有利な条件がそろっていたのかもしれないね。
…とかうだうだ書いてて、「個体損耗」なんて言葉があるのかしらん?と不安になってぐぐってたら、そのものずばりのページを見つけてしまいました。
しかも、――言い尽くされてるかんじ。
http://www.obihiro.ac.jp/~rhythms/LifeRh/02/Mammals03.html
(2)老化は進化的に不利な遺伝的形質である
まずはじめに、繁殖成功度(適応度)と老化について用語を定義しておきます。
A. 繁殖成功度(または適応度): 生命(個体)が次代に残す繁殖可能な子孫数の遺伝的期待値
B. 老化:加齢に伴う生存力や繁殖力の低下
C. 老化によらずとも生物は必ず死ぬ
D. 有害遺伝子は高齢で発現するものほど淘汰されにくい
E. 同じ強度の有害遺伝子なら、高齢に発現するほど繁殖成功度を低める効果が小さい。
F. 生態学的死亡率の高い個体群ほど、早熟を強める淘汰圧を受ける
(項目のみ引用。詳細はリンク先原文にあたってください)
そうか。期待値 。
つまり、繁殖成功度(適応度)は寿命と損耗率(その裏に淘汰圧を与える環境要因)を変数とする関数になるんだね。
寿命を延ばすことによる適応度の上昇が、それに伴うコスト(幼年期の延長とか)を上回るかどうかってところ。
そして高齢になるほど個体数が減少する事で淘汰圧が弱まると。
ところで、昔読んだショウジョウバエを使った長寿命個体の選別実験(上で紹介したページでも言及されてる)では、いわば高齢出産を強制する事で、長寿命でしかも環境変化に強い個体が得られてたけど、これって、幼年期が延長する(成熟が遅れる)っていう副作用があったんだよな。
繁殖可能になるまでの期間が短い個体を選んで、そのあと高齢出産で得られた子孫を選択していったらどうなるんだろね?