パニック日記

 政府の人間は、「発表を遅らせたおかげで、不要なパニックを引き起こさずに済んだ」というふうに考えていることだろう。
 メディアの中にも内心でそう考えている人々は少なくないと思う。

 しかしながら、政府および東電は、初期の混乱を回避した代わりに、もっと大切なものを失っている。この点を見逃してはならない。

パニック回避の代わりに彼らが失ったもの:日経ビジネスオンライン

確かにそういう面は考えられる。
だけど、未然に防いだ事があったとしても、それは永久に判らないんだ。

でも、そんな彼らより、もっとひどい目に遭った英雄たちがいる。人知れず大災害を未然に防いで私たちの命を救った哀しい英雄たちだ。彼らは足跡を残さないし、自分たちが大きな貢献をしたことさえ気づかない。

ナシーム・ニコラス・タレブブラック・スワン』−


3月11日
おいらが最初にパニックの兆候を目撃したのは、地震の1時間ほど後だったと思う。
長く激しい揺れが収まって、高層階からの長い階段を下りて地上に出ると、そこにはスーツ姿の大勢の人々が立ちつくしていた。
そこまではいい。
仕事場の皆がまだそろっていなかったので探しに回ったとき、喉が渇いたので缶コーヒーでも買おうと近くのコンビニに入った。
レジには今まで見た事もない長い行列ができていた。
人々は両手やカゴいっぱいにカップ麺やペットボトルを抱えていたように思う。


3月13日
次に気付いたのは、翌々日、日曜日。
毎週買い物に行っているショッピングセンターの中のホームセンター。
ふと好奇心から防災グッズのコーナーを見にいくと、棚が空になっている。
震災後に買いに行っても遅かろうに。
苦笑しながらも――しかし余震は怖いし、そういえばカセットコンロのボンベは在庫があったかな?と気になりだすおいら。
店員に聞くとボンベどころかコンロも売り切れだという。
なるほど。
するっていと…
――やっぱり、電池の棚も品薄になってる。単一は売り切れ。単二も残り少ない。
――普段ならうずたかく積まれているトイレットペーパーも半減している。


パニック買いだ。


第二次石油ショックの再来だ。
――だが、まだ初期だ。

ものがなくなりだすのはこれからだ。
あのときは、石油と直接関係のない紙製品が高騰した。
トイレットペーパーが店頭から姿を消した。
――うわさによるパニック。


美人投票という言葉が頭をかすめる。
皆が買占めに走るだろうと皆が考えれば、その対象は市場から払底してしまうだろう。


前日、既に福島第一原発1号機の建屋が水素爆発を起こし、避難指示は半径20キロに拡大されていた。

これは、この店に限定されている現象なのか?
そのあと、街中のスーパーや小売店を自転車で走り回ってみた。


すべての店でカセットボンベが消えている。もちろんカセットコンロ自体も。
電池は稀少。
トイレットペーパーは、まだ普段どおりの店もあった。――まだ。
店の人に聞くと、どうやら12日には既に始まっていたようだ。
なんらかの噂が広がっているのは間違いなさそうだ。



3月20日のスーパー、パン売り場


3月14日
翌月曜日、出社。
出社できた人間は数えるほど。
テレビをつけっぱなしにしておく。


たぶん、昼休み後まもなくの頃だったと思うが、2号機冷却水全喪失のニュースが流れる。*1
正直、エライこっちゃと思った。
――メルトダウン*2


11日夜からずっと天気図を見るのを日課にしていた*3
14日夜、予報天気図を見ると、福島近辺は弱いながら北東の風が予想できるように思えた。
嫌な予感がした。*4


3月15日
翌朝、天気図を見る。
間違いなさそうだ。
阿武隈山地に阻まれた風が南下して北関東に吹き込むイメージ。
テレビでは2号機の圧力抑制室の圧力低下が報じられていた。
――格納容器の破損か?
福島からの距離を調べる。東京に到達するのは夕刻くらいだろうか?*5
テレビはもちろん、抑制的な報道をしている。
しかしやがて放射性物質は風に運ばれて関東に達するだろう。
事実報道は抑制されていないようだ。いずれ報道される。
日曜日のスーパーで既に噂に流される人々の行動を目撃していた。
ターミナル駅や空港に殺到する群衆のイメージが頭をよぎる。


もともとおぼつかない知識+ネットで仕入れた付け焼刃な知識で考える。
圧力容器が爆発でもしない限り、東京への影響は限定的だろう。
しかし、子供達への影響はどうか?
風は北関東に吹き込むだろう。




ホームに上がりながら、群馬に住む妹に電話した。
「子供達は学校に行った?」
既に出かけたという。それはそうだ。登校時刻を過ぎている。
「どうしたの?」
妹の声に懸念が混じる。
「風向きが悪い」



5月になってから公開された3月15日朝のSPEEDI予測画像、NHKニュースより


――その日、心配していたパニック*6は起こらなかった。
残念ながら関東の放射線量は急増したが、予想の範囲内ではあった。
心配する妹は、夫がなだめてくれたようだ。
フォローのメールを入れる。
無用な心配を掛けてしまった。それでも危険の可能性はあったのだから間違った事をしたわけではないと思いなおす。


それまでは、できるだけ専門的と思われるサイトしか見てこなかったが、2ちゃんねるまとめサイトとか見てみると、疑心暗鬼な書き込みが渦巻いていた。
Twitterも酷かったようだ。



今になって、当初報道より深刻な事態だった事が東電から発表されるようになってきている。
もしこれらが当初から報道されていたらどうなったか?
これらの事実が当時どの程度わかっていたのか不明だが、注意深い人なら燃料棒の溶融の予測も、放射能分布によらない20キロ退避圏の意味(想定される最悪事態)も読み取れていたように思う。
これらが基礎知識のない一般の市民に対して抑制無く報道されていたらどうだったのか?
3号機爆発から自衛隊の撤収を契機にして*7双葉病院の緊急避難で起きた悲劇のようなことがさらに広範囲で起きていた可能性はなかったか。
(ふと思った事。民放はほとんど追っかけてなかったのでよく判らないが、当初のセンセーショナルな報道が双葉病院の事があってから抑制的な報道に変わったなんて事はないんだろうか?)
あの頃、外国人だけでなく、相当数の人々が「首都圏脱出」していたようだ。


もちろん、事実関係の発表に隠蔽があったとしたら、大きな問題だ。
当時予測しうる事態に対して適切な対処が放置されていたとしたらそれも問題だろう。
しかし、想定されるパニックを未然に防ぐという事もまた適切な対処と考えても良いのではないだろうか?

*1:ググってみると、正確には「冷却機能喪失」のニュースだったよう。NHKだったとおもう。夜に「燃料棒全露出」のニュースが流れたようだ。

*2:6月5日放映のNHKスペシャル原発事故・危機はなぜ深刻化したか 第1回」によると、この夜、福島第一原発では、吉田所長が廊下で休んでいる協力会社の作業員達に声をかけてまわっっていた。「皆さん今までいろいろありがとう。努力したけど状況はあまりよくない。みなさんがここから出るのは止めません」...社員ら70人以上を残して、200人以上が福島第一原発を去った。

*3:13日午後には福島沖の高気圧を巡る風が南から吹き上げ、宮城あたりで西に向きを変える様に吹いていた。女川原発で福島のものと思われる放射線を検出との報道があった。あるいは飯館村の高汚染地域はこのときの風と、報道されているような雨が原因なんだろうか。

*4:それまで福島から関東に向かう風は無かった。大量放出が、あと半日、前後にずれていたら、汚染範囲はまったく異なっていただろう

*5:実際には昼休みにニュースをチェックしたときには既に関東での放射線量の増加が報道されていた

*6:当時の自分の「はてブ」を見返していて笑ってしまったのだが、大量に見ていたサイトのブクマを一切していない。自分のブクマすら風評になるのを恐れていた。まあ、見たサイトは履歴を含めてタブブラウザが記憶していたからではあるのだが。見る価値があると思われるサイトのURLはクローズドのメーリングリストにポストしてたし

*7:時系列から考えると、病院に残っていた自衛隊員が去った命令は3号機爆発による全隊員撤収命令だと思う。そして自衛隊の救援は来ず、院長は警官に避難させられた