3.11と想定外と自己責任


通常、河川堤防などの防災施設は数十年オーダーでの台風などの被害を抑えられる事を念頭に設計施工されるのだと思う。
今回の震災のような数百〜1000年オーダーでしか起こらないような稀な事象による大規模な災害は想定されていない。
そこには被害と対策費用を天秤に掛ける経済原則が働いているはずだ。*1


100年に一度の洪水を防ぐスーパー堤防を無駄だと考えていた人々が1000年に一度の津波対策施設の建設許容しただろうか?
高コストはいずれ何らかの形――税金でなければ物やサービスの価格の形――で人々が負わなければならないのだから。


動画サイトや巨大掲示板等で逃げなかった人を非難するコメントや、低地に住宅を立てていた事を非難するコメントをかなり高頻度で目にする。
賞味期限の偽装程度で大騒ぎしていたこの国で2万人が死んだ。
その衝撃が心情的に受け入れられないのだろうか?
岩手県宮古市姉吉地区にある大津浪記念碑「此処より下に家を建てるな」について報じられると、裏付けを得たかのように非難のオンパレード。
彼らは海岸付近とか田んぼを埋め立てた造成地や氾濫原には住居を構えてたりしないのだろうか?そもそも日本の平地は、ほぼ例外なく河川の氾濫原だと思うのだが。1000年オーダーで考えれば、氾濫して伊勢湾台風を軽く超えるような被害がでる可能性は高いだろう。



上にあげた二枚の写真はどちらも1945年の釜石だ。
7月14日と8月9日の二回、米海軍第三艦隊、そして米海軍・英連邦海軍の混成艦隊の艦砲射撃を受けた。
41センチ砲を中心として5000発を超える砲弾が製鉄所を中心とする市街地に打ち込まれた。
市街地の殆んどの地域が被災し、被災4,543世帯、被災人員16,992人、死者750余名。


当時の人口は現在と同程度の4万人。
今回の震災での釜石市の死者行方不明者は1300人を越えた。
戦後の大合併で現在の釜石市の市域はずっと広がってるので*2、当時の市域での人的被害は同程度だったのかもしれない。


1000年に一度の自然災害に対して対策を要するのなら、1000年スパンで考えれば一度くらいは戦災にも遭うかもしれない。
現在考えられる戦争技術に対する住民の安全を図る施設を作るべきだ!くらいの事も言ってほしいものだと思う。


福島第一原発については別に考える必要があると思う。アメリカの原発立地の施設基準は過去一万年に起きた自然災害に耐えられるものなんだそうだ。実際には地質調査も完全ではなくなかなか想定が難しいわけではあるが。日本では、この地震国で「過去一万年」なんて文言が法律に入ると、反原発運動の標的にされるとか考えたのだろうか?

…(略)…単純に言えば日本には「何がなんでも原発を推進する原発推進派」と「何がなんでも反対する反・脱原発派」がいて、これまでも議論が噛み合わないまま原発建設が進められてきた。中間派の存在感が薄く、両派の議論はあたかも空中戦になりがちである。

しかし両派にとって自分達の言い分が正しいかどうかは必ずしも重要ではない。いかに自分達の味方を増やすかが最大の関心事である。つまり両派のやっていることは世論工作であり世論操作である。

経済コラムマガジン

*1:あるいはコンクリート設備なら100年程度の耐用年数が想定されていることもあるかもしれない。つまり作った以上は一度くらいは役に立つと想定される事が納税者に対する説明として必要だと行政は考えている?

*2:ピーク時の人口は約9万人