タバコの害は2シーベルト、その2


ごく微量の放射線の害というのは、食べた毒が少しづつ蓄積されて段々不健康になるというような性質のものではない。
ほとんどの放射線による確率的な変異は、体内の防御機構ですみやかに除去されるだろう。
排泄速度を越える速度で有機重金属に汚染された食物を摂取し続けたりするのとかとはそこが違うように思う。


放射線によって増殖中の遺伝子に傷がつき、その修復過程にミスが発生し、アポトーシスを起こす遺伝子が変異し、異常蛋白質を検知する免疫機構の攻撃も免れ、血管誘導遺伝子が異常に活性化し、細胞間接着因子が以上に活性化して浸潤を起こし――というような変異が運悪く*1局所的な細胞群に蓄積して――癌が発生する。*2


前回、貰い事故で亡くなる確率は無視できないと書いた。


我々の暮らしには危険が満ちている。


横断歩道に車が突っ込んでくるかもしれないし、坂道で自転車にはねられるかもしれない。
食べたアレルゲンのアナフィラキシーショックであっさり死んでしまう可能性だってゼロじゃない。
ユッケ食べるのも危険がいっぱいだ。


それでもなぜなんとか安心して生きていられるのかといえば、逆説的だけど我々の生に限りがあるからなんだろう。


たとえば、健康なら1000年生きるのが普通だとしよう。
現在の30代後半の年間死亡率はざっと0.1%
これが1000年続くとしよう。
そうすると、健康に寿命をまっとうできる人の割合は、(1-0.001)の1000乗=0.3677。
三分の二の人は何らかの事故や病気、自殺などで死んでしまう。
ちなみに、これが100年しか続かないなら、9割の人は寿命をまっとうする。


ずいぶん昔読んだSF短編で、不老長寿になる遺伝子改変を発見して自分に適用したとたんに精神的に不安定になる話があった。
皆が無視してる不安にさいなまれて。
ビルの玄関から外に出られない。上から物が落ちてくるかもしれないから。
人生がとてつもなく長ければ、いずれは遭遇してしまう不慮の事故――。


貰い事故で亡くなる確率が無視できなくても、我々は普通に車を運転する。*3


100km運転する毎の死亡率の表を見せられても、普通、運転をやめたりはしない。
なぜか?
へたくそとか無謀な若者が死亡率を上げているに決まってるから。
へたくそでも無謀運転でもない俺が事故に遭う確率はそれよりずっと小さいに決まっている。
多くの人はそう考える。
そして、それは、そんなに間違った考えではないと思う。
保険会社もそう考えて、保険料を割引したりする。


微量放射線の危険性も似たようなところがあるんだと思う。
人によって危険度が高い人もいれば、小さい人もいる。
年中タバコをすってるとか、牛肉大好きで大腸の細胞に変異を蓄積してる人とかの方が多分それだけリスクが高い。
だから、「そういう人」以外は、500ミリシーベルトでの疫学的な死亡率から外挿した推定死亡率の表とか見せられてもそんなに心配する必要はないんだ。
「そういう人」だって、車は運転してる。
自分は「そういう人」だって自覚してたら運転しないよね。
そもそも「そういう人」のリスクだってずいぶん低いんだ。
限られた寿命の中では。
心配して病気になるリスクの方がずっと高い。


安心したまえ。
心配している間に別の要因で寿命が来るから。


だから、あんまりクヨクヨ心配すんな!


――と、個人的見解を開陳してみる。
そんなに間違ってはいないんじゃないかと思うんだが。
少なくとも交通時事故で毎年何千人も亡くなってるのに我が子を乗せて車を運転するだけの無謀さがあるなら微量の放射線を心配するのはリスク評価を間違えているんじゃないかと思う。


今日、知り合いの友人の妻子が東京近郊からはるばる南の島に疎開したという話を聞いた。
それで、安心を得られるなら、それも良い選択だろうと思う。
でも、住みなれた地域、学校の友人や父親から引き離されることが本当に正しい選択なのか、おいらにはどうにも難しすぎる。
まずは正しくリスクを評価出来るような説得力が欲しいもんだと思う。

*1:確率過程だ

*2:体内被曝なら単一の放射性原子が単一の細胞を傷害し続けるんじゃないかとも考えられるけど、一度放射線を出して崩壊(それ自体も確率過程だが)すれば核種が変化して細胞内に安定的に存在し得なくなる事まで考える必要があるだろう。

*3:まあ、俺は免許ないからしないんだけど