毒づいてみる

東京新聞 筆洗 2010年1月24日

小沢氏はきのう、東京都内のホテルで東京地検特捜部の事情聴取を受けた。終了後には記者会見も開き、説明責任を果たしていないとの批判に応える姿勢を見せたが、国民は納得できただろうか。

この「国民」の「納得」というのはどういう状態を指すのだろう?
そして、「国民」が「納得」していない場合、どういう説明をおこなう事で責任を果たすことができると想定しているのだろう?

たとえば、オザワさんが会見場でフリップ片手に事実関係を判りやすく説明すればよいのだろうか?
しかし、その場合、検察は逮捕拘留してる関係者からその説明と矛盾した供述を引き出して(あるいは引き出したと仄めかして)リークしたら?

というか、おそらくこの筆者、そこまで考えてないだろうという気がする。
だとすれば、それらしい形にあわせて文章をまとめて及第点をとろうとする小中学生の作文とさして変わらんということになる。
あるいはどんな説明であれ「納得」なんてできない事は読者もわかってるんだよ、そこを聞かずに済ますのが大人の対応だよとか
言い出すなら盟神探湯のごとくいずれにせよ傷害を受けるような刑罰を「世間の審判」の形式を借りた形でおこなっているようにも思える。
こういうアンフェアな言明を無自覚に行う者が新聞の巻頭コラムを書いてるのが日本のマスコミのレベル。


マスコミでよく聞くこの「納得」という言葉、被疑者を吊るし上げるのに使うには効果的だよね。
例えば医療訴訟の原告が、少年犯罪被害者の家族が「真の原因」「本当の理由」を知りたかったのに「納得できなかった」。
こういう具合に使われる「納得」。
読者・視聴者の情緒的反応を引き出してニュースを売ろうというサモシイ根性に見えるんだが、どうだろう。