世論と政策

『米政府が成し遂げた5つの良い事』というタイトルで『himaginaryの日記』に紹介されてた記事

reason.comのWilliam D. Eggers & John O'Learyの1/13記事より(Rortybomb経由)。

  1. 第二次大戦後の日本の民主国家としての再建
  2. マーシャル・プラン
  3. アポロの月着陸
  4. 1996年の福祉改革
  5. 酸性雨削減

これみてちょっと思ったのが、戦前の日本がどれくらい「民主的」じゃなくて、戦後の日本がどれくらい「民主的」なのかという事。

最近、阿川弘之が文春の連載エッセイで水交会の戦争を振り返った座談について紹介を書いてて、ちょっと戦前の世論の雰囲気が感じられて面白いなと思ったのが以下:

入江  さうは仰有っても、昭和十五年の春、暫く膠着状態だった欧州の戦局が急に動き出しだのはよく御存じでしょ。独軍デンマークとの国境を越したと、電報見て驚いてると、三時間半後にはコペンハーゲンがもうドイツの占頷下に置かれてゐる。続いてノルウェイがやられる、オランダが降伏する、ベルギーも降伏する、ドイツ軍のパリ入城、英軍ダンケルクの大撤退。所謂電撃作戦のあまりの鮮かさに、一時下火になってゐた日本人の親独感情が復活して来るんです。新聞はナチス礼讃の記事ばかり書くし、此の大戦はドイツの勝利に終ること、もはや疑ひやうが無い、日本も早くドイツと軍事同盟を結んだ方がいいんだといふので、「バスに乗り遅れるな」が流行語になります。
福地  当時、内閣は珍しくも米内海軍大将の組織した内閣です。だけど米内さんぢゃあ、国民精神総動員とか、のちの大政翼賛会につながる新体制運動とか、国内改革に極めて冷淡だし、日独伊同盟には絶対反対だし、何ンにもしないコメナイ内閣と言はれて、国民の評判はあまりよくありませんでした。結局満六ケ月の短命で終ります。その頃には僕も大分秘書官狎れして来て、壮士の撃退法なども身につける一方、やっぱりこりゃ大変な仕事だと思ふやうになりましたね。

葭の髄から・百五十四
水交座談会 ―その三―
阿川弘之
文勢春秋2010年二月号(第八十八巻第三号)

上記は太平洋戦争前の世間の雰囲気だけど、日中戦争に関しては以下のようなのをネットで見つけた:

 まずは参謀本部の戦略的判断に関わる。防衛庁防衛研修所戦史室編『大本営陸軍部(一)』(戦史叢書八、五二八頁)は「近衛内閣は作戦的に自信を持たない陸軍統帥部の意向を無視して事変早期終結を見限った」として、河邊作戦課長の解説を紹介する。

対支判断において、蒋介石は、わが武力に屈して軍門に降るというようなことはない。長期持久戦争を指導し得るであろうと多田次長や石原部長は考えていた。……多くの者は、支那の力を軽視して、恐らくポッキリ折れるだろうと考え、上海を陥して南京へ行く前に手を挙げてくるだろうという……。……国民が一番強気で、次が政府であり、参謀本部が国家全般を憂慮して最も弱気であった。

 「世を挙げて、中国撃つべしの声であった」

「『軍部」関係者のものだけでは……」と不満な読者のために、石射外務省東亜局長の一九五〇年の回想『外交官の一生」から、「ジャーナリズム、大衆、議会」の一部である、

事変発生以来、新聞雑誌は軍部迎合、政府の強硬態度礼賛で一色に塗りつぶされた。「中国鷹懲」「断固措置」に対して疑義を挿んだ論説や意見は、爪の垢ほども見当らなかった。人物評論では、「明日の陸軍を担う」中堅軍人が持てはやされ、民間人や官吏は嘲笑を浴びせられた。……/九月初旬開かれた臨時・議会は……軍部の御機嫌を取り、事変費二〇億二千万円を鵜呑みにした、/……/万来好戦的である上に、一目論機関とラジオで鼓舞された国民大衆は意気軒昂、無反省に事変を謳歌した。……暴支膺懲国民大会が人気を呼んだ。/「中国に対して毫も領土的野心を有せず」などといった政府の声明を、国民大衆は本気にしなかった。彼等は中国を膺懲するからには華北か華中かの好い地域を頂戴するのは当然だと思った。/地方へ出張した或る外務省員は、その土地の有力者達から「この聖戦で占領した土地を手離すような講和をしたら、我々は蓆旗で外務省に押しかける」と詰寄られた。/……/世を挙げて、中国撃つべしの声であった。

「夢のあと」(1)「軍部の暴走による先の戦争……」
『書斎の窓』(有斐閣)2007年11月号
http://www.e.u-tokyo.ac.jp/~miwa/Yumeato-files/Yumeato1.pdf

異論はいろいろあろうけれども、少なくとも「非民主的」な体制ゆえの「軍部の独走」が「無謀な戦争」を引き起こしたのだというような単純なものではないように感じられるよね。


世論が政府に清算主義を押し付け金融政策に対する手足を縛るような近頃の世相とか、かつてのムネオくんとか最近のオザワくんに対する捜査へのマスコミの協力っぷりとか見るにつけ、日本の「民主主義」ってのはどんだけ進歩したんだろね?と疑問符をつけたくなる今日この頃。


『米政府が成し遂げた5つの良い事』ではさらに、米政府の失敗として、「5.イラクの民主国家としての再建」というのが書いてあったけど、おいらとしては、イラクへの侵攻自体が米政府の失敗だったと思うけど。
イラク討つべしで盛り上げたマスコミとかそれにのっちゃった米国民もどうかしてるというか、戦前の日本に比べて、どんだけ「民主的」なのかねぇ。
というか、こういうことが起こっちゃうのが「民主国家」?とか思ったりして。
すると「第二次大戦後の日本の民主国家としての再建」ってのはいったいなんだったの?という気がしてくるな。


ところで、「邪悪」なサダムの排除ってのは多くのイラク人の命を奪い、生活を破壊しても正当化できるほどのもんだったのかいな。
そして、一方的な武力侵攻が世界の人々の世界観やその後の各国の為政者の行動に与えたであろう影響ってのもちっとは考えてるのかしらん?