なんだゲーム理論なの
これで「中央銀行が動学的に最適化して得られた政策(一番右の結果を得るような戦略)にコミットできない(均衡として支持されない)」という時間的不整合性をかなり上手く表現しているんじゃないだろうか。
政府が中銀に対して干渉できることを消費者に示せばいいわけなのかな。
例えば一定インフレ率以下なら中銀の独立性が減殺されるというような内容の立法をして。
そうすれば最後の分岐での消費者の対戦者は政府ということになり、双方の利得が一致する。
…というのは実は上記エントリで期待形成がゲーム理論でモデル化できるろいうアイディアを読む前に以下のブログを読んで思ってた事*1:
さて,提言の実現のために,勝間氏は危険な方向に話を進める。世論が声をあげて,政治を動かし,日銀を動かす,というのである。
私は,勝間氏が目指していることを実現するには,時間整合性の問題を克服できる道を見つけて,学界を説得する方が早道だし,正しい道だと思う(勝間氏ではなく,勝間氏のブレーンの仕事になるだろうが)。
なんだけど、ゲーム理論というならば…
「ムカデのパラドクス」の類って、ゲーム参加者が対戦者の行動をベイズ推定してるんだという前提に立てばパラドックスを回避でき、現実の実験結果(パラドックスには落ちない)にフィットする気がしている。
(この問題は相互の相手(中銀vs消費者)の利得と自分の利得の多寡はゲームに干渉しないからちょっと違うかな?)
ともあれ、時間整合性の問題がゲーム理論に基づいているのなら、現実には必ずしもフィットしないんではないか。
というか、理論どおりに事が進まないような条件が(現実世界には)複数存在する(もしくは出来る)はず。
ならば、例えばこの問題に関しては政治的に期待を形成することが可能なのではないかと思った次第。
『徒然なる数学な日々』さんの言い方に倣えば、経済学徒は経済学的な期待形成の経路を云々するだけで満足してればいい(ごはんが食べられる)のかもしれない――というかんじかしらん。