インフレで好転する事

お金は天下の回り物【おまけ編】 | 伝統 1400|共感2
84828| JAPANcruciancarp | 2008.02.18 00:04:52

前々回(リンク先消滅)

前回(リンク先消滅)



最近、WEBを巡回していて知ったのですが、世界大恐慌後の1930年代、オーストリアの小さな町で成功したひとつの試みがありました。


Silvio Gesellというドイツ人経済学者が考えた「自由貨幣」とか「スタンプ付き貨幣」と呼ばれるものです。それは「老化するお金」とも呼ばれています。


ヴェルグル(W〓rgl)という名前のその町でも世界恐慌の影響は大きく、人口4300人の一割が失業中で、その半数が失業保険も切れて生活保護を受けていました。当然、市の財政も破綻しており、巨額の借金を抱え、利息の未払いだけで5万シリングにも達していたのに対して、市民税収入はわずか3000シリングだったそうです。一方で11万8000シリングもの市民税が滞納されていましたが、経済危機の中では納税する金銭的余裕のある市民はほとんどいないという状態でした。


こんな中、1シリング・5シリング・10シリングの3種類の額面価格による「労働証明書」が発行され、1932年7月31日から流通が始まりました。
市長自らが3万2千シリングを地域の貯蓄銀行から借り入れ、それを担保にして「労働証明書」が発行されたのです。


それは、まず市の職員の給与や、納入業者への支払いに当てられました。
これは、まるでババ抜きのババみたいな「通貨」です。
紙幣にはスタンプを張るスペースが用意されており、月が改まるごとに額面の1%に相当するスタンプを購入して貼らなければ使用出来ない事になっていました。
結果は驚くべきものでした。最初に発行した合計1000シリングの『労働確認書』の流通からわずか3日で、5100シリングもの税金が市役所に支払われたというのです。 そりゃそうですね。持ってるの嫌ですもんね。
流通量より多い? いえいえ「金は天下の回り物」(リンク先消滅)です。
戻ってきた『労働確認書』は、再び支払いに使われたのです。
酷いですね?


ところが、これは町の経済を大きく刺激しました。
税金で納入されない分は、通常の買い物や取引で使用されました。
そんなものを受け取るのは嫌だって? でも、それは市民税の支払いに使えるのです。
額面どおりの価値があります。月末を過ぎさえしなければ。
そう、さっさと使えば良いのです。
市民はさっさと使いました。さっさと市内でお買い物もした事でしょう。
結局、発行量3万2千シリングは多すぎる事がすぐにわかりました。
発行しすぎた分は市に戻ってきたところで回収され、平均5000シリングが市中を巡りました。
住民一人あたりでは、1.3シリング相当に過ぎない流通量のこの「お金」(※)は、週平均8回も所有者を変えており、13.5ヵ月の間に平均464回循環し、254万7360シリングに相当する経済活動がおこなわれました。これは通常のオーストリア・シリングに比べて、およそ14倍の流通速度だったそうです。ババ抜きのババですからね。


※この『労働確認書』、市長のお金で担保されているだけでなく、市民税の納税手段という形で流通性が保障されており、自由に流通させることが出来ますから、貨幣の「価値交換手段」としての特性を十分備えています。しかも、前回(リンク先消滅)その弊害を指摘した貨幣の「価値貯蔵手段」としての特性はあらかじめ奪われているんです。


こうして税収が激増したために、それまで滞っていた公共工事が進み始め、わずか1年で10万シリングもの事業が行われました。
また、1932年から1933年の一年間で、オーストリア全体では失業者が329千人から375千人に増大している中で、ヴェルグルでは逆に失業者数が1年で4分の1も減少していました。


この試みはしかし1年で終わってしまいました。オーストリア中央銀行を震え上がらせてしまったんですね。
ウィーンの中央銀行によって禁止令が出されてしまいました。


この取り組みが続いていたら、どうなっていたでしょう?
滞納されていた市民税が完済された後も機能し続け、死蔵出来ない理想的な「天下の回り物」として機能し続けたでしょうか?



というわけで、"Aoto Fujitsuna"(青砥藤綱)は偉かったね(リンク先消滅)、という段でした。



− 日韓リアルタイム翻訳掲示板 enjoy Korea − 2008.02.18投稿 −


上記は某翻訳掲示板に投稿した記事(リンク先消滅)。


上記記事のコメント欄にも書いたけど、ここで注意したいのは、減価紙幣の「天下の回り物」機能はインフレと等価ではないかな、ということ。


インフレが常態だった時代、普通預金金利がインフレ率を上回った事はほとんどない。
つまり、お金というのはある意味ババ抜きのババであることが正常だったという事。
使わないと目減りするんだから。
だから自分の欲しいものをさっさと買ってしまうか、期待利子率の高い投資をするのが合理的選択。
そして、それが、さらに経済を発展させる。
そして、それが、日本以外のほぼすべての国の常態。


おそらく資本主義のもとでは(そして江戸時代の日本のような経済成長を伴う貨幣経済の社会では)インフレはうまくお金を流通させるために必要なんだろね。


そして、持続不能な現在の工業社会を持続可能なものに変えていく原資を得るためにも経済発展は必要なのだと思う。
第二回仕分けでまたまた科学技術政策に「メス」を入れられるのを見てその思いを強くした。


「今のままで良い」という考え方は「今のまま」では持続不可能だという事を忘れている点でとても愚かだ。
エネルギー資源はいずれ底をつくし、その前に価格の高騰と資源争奪戦が待っている。
現状の世界の食糧生産技術は土地を疲弊させてゆくし、温暖化はそれに拍車をかけるだろう。


科学技術への投資は既に十分悪い「現状」を打開するために避けては通れない。
そこにはまず投資余力が必要なんだ。




投資余力が小さいことの影響といえば、「日本的経営」をすてて「サムソンに学べ」とか日経BPに載ってたりする件。
大きな投資を可能にする経済環境にならないかぎり、どこに学んでも社会全体での効果は限られてるし、日本の伝記産業の相対的衰退の原因は根っこのところではデフレが原因であって、個々の企業の経営判断の問題とは次元が違うんではないかな。