江戸のデフレと通貨政策

重秀は将軍綱吉時代の経済政策を一手に任された。元禄期は、新たな鉱山の発見が困難となったことから金銀の産出量が低下し、貿易による金銀の海外流出も続く一方、経済発展により貨幣需要は増大し、デフレ不況の危機にあった。幕府の大幅な財政赤字(将軍綱吉とその生母桂昌院の散財など)によりデフレ不況は回避されていたが、財政破綻が現実味を帯びつつあった。重秀は貨幣国定学説を200年余りも先取りした経済観を有していた。実物貨幣から信用貨幣へのシフトによる市中に流通する貨幣量の増大を目指し、元禄8年(1695年)、慶長金銀を改鋳し金含有率を減らした元禄金銀を作った。太宰春台作とされる「三王外記」は「貨幣は国家が造る所、瓦礫を以ってこれに代えるといえども、まさに行うべし。今、鋳するところの銅銭、悪薄といえどもなお、紙鈔に勝る。これ遂行すべし。」という重秀の言葉を伝えている。

貨幣改鋳は経済の混乱を招き、未曾有のインフレーションをもたらしたとされてきたが、村井淳志の研究によれば、元禄期の貨幣改鋳後11年間のインフレ率は名目で平均3%程度と推定され、庶民の生活への影響は大きくなかった。一方、改鋳により商業資本と富裕層がストックしていた大量の慶長金銀の実質購買力は低下し、幕府の改鋳差益金は約500万両となった。商人たちは貨幣価値の下落というリスクに直面し、金銀の退蔵が減少し貯蓄から投資へという流れが生じた。こうして幕府の金蔵から商家の蔵へ金銀が移動する経済構造が変化し、財政赤字を縮小しつつ緩やかなインフレが実現され、経済は発展し好景気に沸いた。しかし元禄地震(関東)・宝永地震(東南海)・富士山宝永噴火など大災害が続いたこともあって赤字財政からの脱却は難しく、上記の様に佐渡金山のテコ入れ策を講じ、長崎貿易の代替物を増額して運上金を徴収し、全国の酒造家にも50%の運上銀をかけるなど、一貫して幕府歳入の増加に努めた。しかし財政赤字補填を目的とした宝永3年(1706年)に始まる宝永金銀の発行に至って、特に銀貨の品位が低下し通貨量が増大したことから著しいインフレが発生し、商人の保有する資産価値が低下し元禄文化に終止符を打った。

(強調は引用者による)
荻原重秀 - Wikipedia

以上は、元禄期(17世紀末)の貨幣改鋳。
次は、暴れん坊将軍による18世紀のリフレ。

しかし、財政立て直しに最も 寄与したのは、国内産業の振興策ではなく、実 は元文元年(1736)に実施された貨幣の改鋳と いう金融面からのリフレ政策であった。
 吉宗は当初、倹約による財政緊縮を重視した ため、幕府はもとより諸大名も財政支出の削減 という強力なデフレ政策を実行した。その結果、 江戸の経済は深刻な打撃を受け、街は火が消え たようになったといわれている。
…(略)…
こうした増歩交換政策の実施が功を奏し、徳 川幕府が期待したとおり新金貨との交換が急速 に進み、貨幣流通量は改鋳前との比較において 約40%増大した。この貨幣供給量の増加は物価 の急上昇をもたらし、深刻なデフレ下にあった 日本経済に「干天の慈雨」のような恵みを与え た。例えば大坂の米価は、改鋳直後の元文元年 から同5年までの5年間で2倍にまで騰貴する など、徳川幕府の企図したとおりの物価上昇が みられた。こうしたなかで経済情勢も好転し、 元文期に制定された金銀貨は、その後80年もの 間、安定的に流通した。
 一方、幕府財政は、相対米価の上昇、年貢の 増徴のほか、貨幣流通量増加の一部が改鋳差益 として流入したこともあって大きく改善した。 この傾向は宝暦期後半(1760年代はじめ)まで 続いた。

日本銀行金融研究所貨幣博物館:貨幣の散歩道

江戸期の日本は少なくとも吉宗の頃まで経済成長を謳歌したわけだけど、金銀の産出に恵まれたこと(もちろん信用貨幣の元では重要な要因ではないが、実物貨幣信仰の元で経済成長するには重要)とか、戦国期のポテンシャルの解放とかの他に、おりおりの通貨政策が効いてた可能性があるよね。
これがのちの明治期からの欧米へのキャッチアップの際に有利なスタートラインに立てた事と密接にかかわってきたりするんじゃないかな?


上記Wikiepdiaの荻原重秀の項には、続けて以下の興味深い記述があった。

しかし重秀の無筆がもたらした最大の災厄は、幕末の開国時に起きた。実物貨幣から信用貨幣へのシフトという政策を支える経済理論が後世に伝わらなかった為、改鋳により金地金より高い価値を持つようになった金貨および南鐐二朱銀以降秤量貨幣から計数貨幣へ切り替わるとともに銀地金の数倍の価値を持つようになった銀貨の仕組みについて、幕府は金本位制が主流の欧米諸国を納得させる説明ができず、地金の価値に基づく為替レートを承認させられた。その結果、通貨価値を大幅に引き下げる必要が生じ、物価騰貴が起きて日本経済は混乱した。


株式持ち合いによる信用創造や簿価評価によって可能になる長期的視野に立った経営の強みをうまく説明できず、「日本株式会社」を解体させたバブル後の日本をなんとなく思い出した。

 英国の経済団体「英産業連盟(CBI)」の事務局長を務めるリチャード・ランバート氏(フィナンシャル・タイムズ紙の元編集長でもある)は最近のスピーチで、米ゼネラル・エレクトリック(GE)の前CEOが株主価値を説いたことに触れ、「ジャック・ウェルチ資本主義と呼べるもの」が終焉に近づいていると述べた。

 実はウェルチ氏の方が先にこうした考えを放棄している。同氏は昨年、株主価値のことを「世界で最も愚かな考え」と呼び、「株主価値は結果であって、戦略ではない。経営者にとって大事な構成要素は、従業員であり、顧客であり、製品だ」とつけ加えた。

 食品・日用品大手ユニリーバのCEO、ポール・ポルマン氏も今月、フィナンシャル・タイムズとのインタビューで同じことを言った。

 「正直言って、私は株主のために働いているわけではない。私は消費者のため、顧客のために働いている。随分前に気づいたんですよ・・・私が世界中の消費者と顧客の生活を向上させるための長期的な取り組みに専念したら、業績は後からついてくるということに」

「世界一愚かな考え」に取って代わるもの JBpress(日本ビジネスプレス)

財務会計基準審議会(FASB)は2日、議会の圧力に屈服する形で時価会計基準の緩和を決めた。金融機関が不良資産を査定する際に一段の柔軟性が認められることになる。

米FASBが時価会計基準緩和を決定、第1四半期決算から適用も | Reuters 2009年 4月 3日