デフレ・ギャップは放置してれば痩せていくのにさらにダイエットって、拒食症ですか?

もちろん、重要なのは、賃金が実際に上昇することである。財政検証が仮定するような賃金上昇が実現できるなら、何も問題は生じない。しかし、それが実現しそうにないから問題なのだ。これは、財政一般についても言えることである。日本の財政はきわめて困難な事態にあるが、それは税収が伸びないからだ。逆に言えば、税収が伸びさえすれば、財政の問題など吹き飛んでしまうのである。年金についてもまったく同じことが言える。

もはや給付削減しかない! 年金の世代間不公平を正す最後の手段|野口悠紀雄 未曾有の経済危機を読む|ダイヤモンド・オンライン


「それが実現しそうにないから問題なのだ」
なるほど。
というわけで年金給付は削減しなきゃいけないんだそうだ。
なるほど。


こういうの読むたびに思い出すのが以下:(ちょいと古いけど)

しかし、3割の黄緑の人達を助けるためには、自分達に回ってくるべきお金の一部を差し出す必要があるのだと、水色の人達はずっと後から気がつく。この国には、打ち出の小槌も、生産性が高く国際競争力のある産業も、さらに多額の借金を積み上げる余地も、ない。

資金を捻出するには、「事業仕分け」という方法で「不要不急の予算」を削るべきだという方法論しか残っていない。しかし、ここがポイントなのだが、水色の人達はそれらの「不急不要の事業」のおかげで、まさに収入を得ている。

この国は“無駄”で食っている - Chikirinの日記


ここでChikirinさんは無駄を削らなければ大変だぁとあおるわけだけれど。
本当にそうなんだろうか?
あるいは、それを避けるために必要なのは「打ち出の小槌」や、「生産性が高く国際競争力のある産業」だろうか?

大多数が働かなくても生きて行ける社会は、やろうと思えば全世界規模でさほどの困難もなく実現できる。食料なら、すでに80億人分ある。15億人分も過剰だ。その配布システムはまだ全世界を覆い尽くすには至っていないけど、仕事にあぶれた土建屋たちを動員すれば、10年とかからず出来るだろう。65億人が生きていくために必要なものは食い物だけではないけれど、全員分の衣食住を整えるだけのヒトもモノもカネもすでに充分以上ある。

実のところ、「大多数」を「過半」に代えれば、先進国においてはほとんど実現している。「中小企業白書 2006年版」によれば、日本の就労人口は2003年の時点で6600万人。五割をわずかに上回っているに過ぎない。残りはまだ就学中だったり、すでに「寿退職」していたり、定年を過ぎていたりでこの中に入っていない。それでも日本は回っているし、日本を回すのに実はこんなに就労者が必要なわけではないということは皆うすうす知っている。

それが、問題なのだ。

65億人が生きていくために必要なものを揃えるのに、65億人も必要ないことそのものが問題なのだ。衣食住を揃えるためだけなら、おそらくその1/100で足りてしまうのではないか。かなり大めに見積もっても、1/10を超えることはないだろう。

404 Blog Not Found:働かなくても生きて行ける煉獄


どこで読んだか忘れてしまってうろおぼえなんだけれど、第一次大戦直後あたりのアメリカの製靴工場では、三ヶ月の稼動で当時のアメリカ人が必要としてた靴の何年か分だかを生産してたそうな。

それでも靴屋が潰れなかったのは皆が「無駄」に靴を買っていたからなんだろう。


我々の経済活動のほとんどは「無駄」のために費やされている。
これは政府財政の赤字とは本質的に関係が無い。


そして我々は今デフレギャップの中にいる。
働いても買ってもらえない。
皆が「無駄」に費やすお金を減らそうとしているから。
貰えるお金が減るので「無駄」に費やすお金をさらに減らさないと不安だから。
それらの「無駄」は日々の生活に安らぎを与えたり人生に彩を添えるものであったりしたはずだ。
そしてデフレによる経済の収縮によって、困っている人々や老いた人々に手を差し伸べるのにつかえるはずだったお金までもが失われていく。
それを解決しようと行う最も間違ったやり方が「無駄の排除」、「緊縮」だということは自明なんだと思うのだけれどねぇ。


放置してても痩せて行くデフレギャップを積極的に拡大させてさらに減量させる愚作だよね。
たしかに「無駄」は排除できるだろうけれど。


皆が貧乏で働けない、けど「無駄が無い」ので働かなくとも生きていける社会。
そんな社会?


でも、どこまで無駄を排除しても現在の人口を食べさせて行く事は不可能なんだよね。
大量の肥料投入(食料自給率を維持するために必要だ)やそのためのエネルギーコスト、そして不作・豊作を緩和するための物流コスト*1なんかを維持したまま持続可能な社会への転換をめざすなら、「無駄の排除」は解決策にはならん。
だって、転換するためにはいっぱいお金がかかるんだよ。「無駄の排除」はお金が減っちゃうんだよ(笑)


田舎に誰も通らない橋を作るのは確かに無駄だし、それはもっと役に立つ使い方があるはずだと思う。
例えば、困っている人々や老いた人々に手を差し伸べるのにつかえるお金。
皆が将来の不安を感じずに生きていくためのお金。
政府を小さくする事ではそれは得られないと思うんだ。

消費税を5%上げれば、おそらく3%程度物価が上昇するはずである。それならば物価が3%程度上昇する程度まで、日銀の国債引受けを増額したり政府紙幣発行しても国民負担は変わらないのである。しかし消費税の増税の場合、ほぼ確実に有効需要が減りさらに景気は悪化する。一方、日銀の国債引受けと政府紙幣発行の場合は、これを原資に政府支出がされた結果であり、確実に有効需要は増えている。つまり経済は上向いているはずである。つまり両者とも同じ3%程度の物価上昇の国民負担と言っても、マクロ経済に与える効果は真逆なのである。もちろん筆者の立場では、政策として後者が好ましいことははっきりしている。

これも一歩前進か - 経済コラムマガジン

*1:江戸時代にもし自由な物流と購買力があったなら飢饉なんて起きなかったそうな。飢饉ってのは特定地域に発生するものだったからね