教育自由化

ちなみに教育も上のエントリと同じ理由から自由化した方がよいと思う。
ゆとりがどうとか知識偏重がどうとか議論する前に、それぞれの地域の公教育でも、ましてや私学ならば自らの信じる形の教育をおこなえばよい。
例えばおいらは昔から能力別クラス編成とかに賛成なんだけど、教育指導要綱のもとでの一斉教育じゃ、そんな指針を出すのも難しかろう。というか全国一律でそういう不平等ととられることをおこなう事は無理だろうと思う。
文部省の定めるべきは上位校の受験に必要な範囲を定めること程度で、あとは各自治体なり私学に任せた方がよい。
もちろんそうなったら親も真剣に子供を進ませるべき学校を選ぶべき。
学校に全部押し付けるのでは無くてね。

中学校までは義務教育だから、公立の学校では、おちこぼれがでないように学習事項を減らさなければならない。公立の中学校が、学習能力の低い子供に合わせて画一的教育をすれば、それには満足できない子供たちが、進度の速い学校へ行こうとするのは、当然のことである。もちろん、和田も認めるように、学校群制度など、受験生から進学先の選択の自由を奪う制度は、公立離れをさらに加速させた。公立の学校は、さらに、偏差値による序列化を阻止し、受験競争を緩和するために、業者テストを廃止し、高校受験の選抜において調査書における内申点を重視するようになった。こうした反偏差値的教育改革は、公立高校の水準をさらに押し下げることになった。

公立の学校が、平等主義的理念に基づいて、学校間格差の是正や受験競争の緩和に努めても、その目的を達成することはなかった。中産階級以上の家庭の優秀な子供たちは、六年一貫制の私立に入学するための新たな受験戦争を開始したからだ。公立内部での格差が減少し、代わって、公立と私立との間で格差が生まれてきたことで、格差社会はより不健全なものとなった。公立内部に格差があって、そこで競争が行われていた時には、勝敗は、家庭の貧富の差よりも子供自身の努力と能力によって決まった。しかし、公立学校の質が低下すると、家庭の貧富の差が子供の将来に大きな影響を与えるようになる。

世代を超えた格差の固定化を防ぐ方法 2. 公教育の充実がもたらす弊害

以下のニュージーランドの学校制度のシリーズが興味深かった。ゆるい枠組みの中でどうやって教育の質を確保していくかという視点で。
川端裕人のゆるゆるで回す「明日の学校」体験記:日経ビジネスオンライン