今度は日銀サイドの比喩を考えてみた

先日はマスコミ向けの(w)リフレ宣伝のキャッチフレーズというか判りやすい比喩を考えてみたけど、今日は、日銀サイドに立った比喩も考えてみたりする。

日銀が本気で貨幣流通量を増やすというコミットメントをおこなうためには、新発の国債とか残期のいっぱい残った長期債をドカドカ買うのが一番だし、現実に通貨供給量を増やすなら、これと平行して政府がドカドカ赤字国債を発行するのが一番だと思うけど、
これって、もしインフレ期待が上がらないまま継続するといろんな個人・法人が大量の流動性を抱える事になるんだよね。
で、いざインフレ期待が高まると、これらの金が動き出す。
そのときあまりにも大量の通貨が動き出し、しかも乗数効果が効いて来た日には日銀は大慌てで流動性を吸収しなきゃならなくなる。
でも、そのとき抱えてる償還間近の国債なんかを売り払ってもまだ足りないときは長期債を売りに出さなきゃならなくなる。*1
でもそんな事をしたら国債暴落→日銀券の信用も暴落ということになってしまう。
でも長期債をはじめっから持ってなければ、緩和も不十分なかわりに、そんな心配はしなくてすむ。
いかにも官僚的・保守的すなわち保身的政策。


うまくいっても誰も褒めてくれないのに失敗したら将来収入激減する減点主義の官僚体制(多分w)の日銀官僚に対して、
「ハンドルから手を離して、アクセルを力いっぱい踏み込め」
って、言っても言う事聞かないのは当たり前だよね。


道はまっすぐ(巨大な需給ギャップ)に思えても、
いつか通った道(1930年代)に似ていても、
はじめて通る道=未来の事は誰にもわからんのだから。
まっすぐに思える(そしてまっすぐ十数年進んできたw)下り坂(苦笑)で、でも深い霧の中で前方に急カーブ(スタグフレーションとか)があるかも知れないのにアクセル踏み込めなんて言われて、まともな運転手なら「そんな無責任な事は出来ない」。(しかも安全運転の技術にはすげー自信持ってそうだし)
後部座席のお偉いさんに命じられなきゃやれないっての。
てかいろいろ命じられてもこの先カーブがあったら曲がりきれないとかいろいろ言い訳しながらアクセル踏まないよね。
たとえ大事な約束に遅れそう(=世界の成長に取り残されそう)でも。
アクセル踏まなかったらクビ」くらいの強制力のある命令でないと。


景気回復に強いインセンティブがある与党がどうにかするしかないのよ。立法措置とか。
日銀を批判してる人々は方向性というか働きかける相手を間違えてるんじゃないかな。
運転は運転手の自主性に任せてる」なんつってる「お偉いさん」のほうにこそ話をつけるべき。
同じ車に同乗してる国民として。

*1:売り手」はあるだろけど、限界あるよね