単なる思い付きを発展させてみる

原始の人々は皆(アイヌ語ネイティブ・アメリカンのような)抱合語の類を話していた。
ただし、長い年月を経て、異民族同士は話が通じない。

で、その異民族が出会って言語がクレオール化する事で、一段階文法がばらけて(単純化されて)屈折語膠着語になった。

で、これらを話す人々が出会うことでさらに分解が進み孤立語が誕生。

クレオール化のレベルが高い=文化混交が進んだ文化ほど単純な文法の言語を話す。

…なんてのはどうだろう?



人類がいつ頃言語を獲得したのかははっきりしないけれど、当然、最初期の頃はずいぶん単純なものだったはず。
しかし、それでは心象の微妙なニュアンスが伝えられない。あるいは、生活に必要な情報の細部が伝達できない。

Wikipediaにあった抱合語の例アイヌ語):

  • usa-oruspe a-e-yay-ko-tuyma-si-ram-suy-pa

これは単語としては2つであるが、各形態素を直訳すれば

  • いろいろ-うわさ 私(主語)-について-自分-で-遠く-自分の-心-揺らす-反復

つまり「いろいろのうわさについて、私は遠く自分の心を揺らし続ける=思いをめぐらす」という意味になる。

「揺らす」から派生して「心を揺らす」を作るために"ram-suy"と言葉をつなぐ。
「ぐらぐら揺らす」を示すために、さらに"ram-sui-pa"とつなぐ。

こういった積み重ねを経る事で、ついには我々の生活に十分なコミュニケーション力を与える抱合語が誕生したのではないか。


我々の持っているシステムはなんでも多かれ少なかれ、「歴史的経緯」というやつで、合理的とは言えない複雑さを持っている。
漢字とひらがなカタカナが混在し、さらにはアラビア数字やアルファベットの混じる文章を我々はさほど疑問もなく受け入れている。
すでに存在するデファクト・スタンダードをひっくり返すのは不可能に近い。

言語文法も然り。
不規則活用とか、元々の語義から変遷し拡散してしまった汎用性が高い単語とか。
子供達が易々と覚えていく限りにおいては、これは問題にならない。

しかし、ひとたび、言語系統が異なる(言語が分岐してからの時間が長く遠い)異民族間の交流が生まれれば状況が変わってくる。
それぞれの形態素をつなぐ規則は言語同士で異なり、もはや維持できない。
主語や動詞に抱合されていた形態素は分解され、形容詞や副詞として機能するようになる。

ただし、この段階では未だ形態素の分解は不完全で、膠着や屈折として名残をとどめる。

バラバラになってもなおセンテンスの中では遠くに分かれてしまった形態素同士が未だhistorical reasonで結びついている場合もある。
例えば「係り結び」。



そして、一段簡素化された言語を話す集団同士が、再び出会う。
しかし、簡素化の過程はそれぞれの集団で異なっており、例えば一方は屈折語を話し、もう一方は膠着語を話す。
例えば交易のために互いに異質な言語を学びあいどうにか交流する過程で(あるいは少数者の支配の下で一方的に押し付けられた言語を習得する過程で)屈折ないし膠着の規則は失われる。
その過程で失われた機能はピジン語がクレオールになっていく中で、別の形で補われるようになる。
冠詞の活用や助詞で示されていた単語の機能(品詞)を語順の固定によって示し、動詞活用の代わりに副詞で時制を示すようになる。

孤立語の誕生だ。



「犬鍋のヨロナラ漫談」のエントリ先日の思い付きを書いたあとで

韓国語も英語も中国語も (犬鍋)
2010-02-03 06:48:22
さらには日本語もクレオールじゃないかという気がしてきました。

と犬鍋さんがコメントしてるのをみて思いついたので書いてみた。



とまあ、言語発展論もどきをぶってしまったので、大急ぎで蛇足:
進化というのはもちろん価値中立的であり、そこに「進歩」という尺度を持ち込んでは誤る事になる。
そこにある原理は、それぞれの生物種がおかれた環境に対する「適応」に過ぎない。
だから、現在生きているすべての生物はその環境に「適応している」。
それぞれ多彩な小銀河同士が重力的に合体し、渦巻銀河が生まれ、さらに合体する事で細部の構造が失われて楕円銀河になる。
この銀河進化論からはもちろん、小銀河より渦巻銀河が偉いとか、渦巻銀河より楕円銀河が「進歩してる」なんて結論は出て来ない。
だって誰の生活にも関係ない自然現象だものね。
あらゆる価値観はその人間が属している社会の活動に依拠して存在している。
いわば「適応」の形。
その社会に属していない人間から見れば、単なる自然現象みたいなもんだということは忘れないようにしとこう。