地球にやさしい

結構遅くまで残業して、帰り際、振り返ればオフィス・ビルの窓の半分は明かりが煌々とついている。
ああ、がんばってる人が多いなあとは思ってみても、居残っている人員は昼間の半分よりははるかに少ないだろう。

恐竜が滅びた有名な白亜紀末の大量絶滅では全ての生物種の70%が絶滅したという推計もあるらしい。オフィスビルを生物種全体、オフィスビルの窓(≒部署、事業所)を生物種と考えてみよう。
窓の3割しか明かりがついていなければ、ほとんどの人は帰ったと推測できるだろう。
つまり6500万年前、ほとんどの生物は死に絶えた。
わずかな生き残りが壊れた環境を再構築し、空白になったニッチに放散して新生代の生物相を形作ったんだ。

それにもかかわらず*1――、我々はこうして自然に囲まれて、生態系の利益を享受して(生態系に依存して)生きている。
過去の大量絶滅なんて想像もつかないほどに再生された自然。*2

だから「地球にやさしい」というキャッチフレーズはずいぶん的外れなんだと思う。
たとえ全面核戦争で地球の生態系がほとんど破壊しつくされても数百万・数千万年後には豊かに再構築された生態系が地球を覆いつくしているだろう。
――ただし、そこには我々人類はいない。

だから、環境保護というのは一義的に我々自身を守るためにこそあるんだという事。
それが、前エントリの註で「我々人類の福祉・存続」という言葉を選んだ理由。

*1:というよりむしろ、それだからこそ。大絶滅によって生態学的地位が空かなければ哺乳類の適応放散も起こり得ず、我々人類も生まれてはこない

*2:中生代よりはずいぶん貧弱になっている可能性もあるが