生態学的地位と経済学的地位
極相林と言うものがある。
例えば火山噴火で火山灰や溶岩で土壌が失われた地域には、最初地衣類などの貧弱な土壌でも生きられる種が入り込んでくる。やがて土壌が回復し草原となり、明るい土地でよく生育する陽樹が育つ。そして暗い森林で育ちうる高木が優先種となると、もうその林は移ろわない。安定する。
進化シミュレーションでは、単一の優先種が支配的になって安定してしまい、新しい種が入り込めないという状況がよく起きるらしい*1。
その場合、より適応的であるかどうかは問題にならない。「適応的」という言葉の意味をどう捕らえるかではあるけれど、優先種であるということ自体が「最適解」になってしまうというか。
「俺等のほうが優秀なのに上がつかえて伸びられない」という会社組織のような事が起きるというか。
これはかなり本質的な進化の性質なんではないだろうか?
支配種は支配しているというそれだけで圧倒的に有利なんだ。
下位*2の種族は、支配者に挑戦するよりもむしろ空いているニッチもしくは支配種の伸張によって変化した状況に対応して生まれたニッチに適応するほうが、より適応的になる。自然選択が唯一の進化機構である限りは、別の方向性はない。
それが昨日のエントリの註で「大絶滅によって生態学的地位が空かなければ哺乳類の適応放散も起こり得ず、我々人類も生まれてはこない」と書いた意味。
「お金はさびしがりや」と書いたのは西原理恵子だったっけ*3。
お金をたくさん持っている「支配種」は、それだけで適応的。優先種であるということ自体が「最適解」。さらにお金が集まる。
格差社会の固定の恐れが言われるようになってずいぶんたつけど、日本社会で「極相林」が生まれる可能性ってのはどうなんだろう。
所得税の累進緩和、派遣労働の解禁、「自己責任」(笑)*4意識の普及。社会ダーウィニズム的な自由主義右派の政策を取り込んできた国に必然的に起こる変化はダーウィニズム的変化になるだろう。
イノベーションなどの外的かく乱要因が少なければ確実に極相に向かっていくだろう。
その過程で起きるのは中産階級の喪失と全体的な購買力の低下、経済の縮小だろう。
お金持ちがどんなにお金持ちでも一人で何十台も車を買う人間は少ない。住む家だって別荘入れても何十棟も入らない。新車の国内販売は減少し続ける。税制優遇のあるような高付加価値の大量住宅供給も先ぼそる。
そこで働く人々は職を失う。デフレが進行する。
中産階級は生まれるものではなく政策的に作るものだと言ったのはスティグリッツだっけ?
我々に必要なのは所得再配分政策と、それをおこなうに足るだけの規模を持つ「大きな政府」だ。
我々の豊かな生活を維持する経済規模を保つためには、「所得再配分」を社会にビルトインされた「環境要因」にしなければならない。