経済学は科学か?

以下が、わりと興味深いエントリで、考えさせられた。


このような論説が行われており、しかもこれが、経済学徒に抵抗なく受け入れられる論説であるなら*1経済学は未だ科学足りえてないのではないのだろうか?

http://d.hatena.ne.jp/kuma_asset/20091111/1257945282

(A)の主張は、歴史的経験を重視してそれを現時点から将来に向けての状況に当てはめる議論であり、一方、(B)の主張は、合理性に基づいて演繹的に現時点から将来の状況を考えたものである。その意味では、どちらの議論も(論理的には)正しい。

自然科学においても、論理的に無矛盾な仮説はいくらでも作れるけど、観測にフィットしない理論は仮説の域を出ない。
だから、

とはいえ、経済学は社会科学であるものの、科学であることに拘泥して合理性を追求することになれば、ときにはあやまれる主観(倫理観)に基づいて現実を虐げることになりかねない。むしろ、現実を説明できないモデルに現実を踏まえた修正を行う方向に経済学の「進歩」があるように思う。

…という言明は全面的に賛成なのだけれど。
「科学であることに拘泥して合理性を追求することになれば、ときにはあやまれる主観(倫理観)に基づいて現実を虐げる」などという事があるのなら、それはおよそ科学的な態度には思えない。*2


科学である事とは何よりもまず現実とのフィットだと思っていたのだが、社会科学ではそういう合意はないのだろう。
一意の結果をもたらす観察手法からして論争のもとになる現実があるというか。


観測誤差は常にあるわけだけれど*3
なにより実証実験ができない。
ただ、これに関しては科学哲学にはベイズ主義がある。*4
おおざっぱにいうと、その理論を信じるに足る主観的な蓋然性が理論にフィットする事後観測なり事前予測なりを経験する毎に事後的に高まるという感じかな。



同じように実証実験ができなかった進化学はどうか?
自然界の生物に観測される形態的類似から系統進化を演繹的に導き出し、進化論(仮説)が生まれたわけだと思うけれど。
形態的類似を説明する仮説は他にもいくつもあり、
また、進化の原因になる機構もさまざまな仮説が提示された。
すなわち自然淘汰を第一原理としない、さまざまな非ダーウィニズム進化論の隆盛。
定向進化説、ルイセンコの弁証法的進化説(――笑)、今西進化論(笑)…。
そして、自然淘汰を認めながらもその機構についてのさまざまな学説。
突然変異説、群淘汰説、中立説、断続平衡説、利己的な遺伝子…。


ダーウィン以来、「進化論」が「進化学」になるまで100年かかってる。
ゲノム解析がおこなえるようになった事。
形態の類似が確かに進化系統に結びついていることがゲノムの類似度から直接検証できる。
まだ、分子生物学的な生命機構がすべて明らかになったわけではないから*5進化機構が生理機構に内在している可能性を完全に否定する事はまだ出来ないと思うけど、それでも、そんな物はないというのは進化学の主流では総意になってるのではないだろうか。*6
結局「ダーウィンが正しい」という総意が形成されるのに19世紀半ばから20世紀半ばまでの100年かかってるんだよね。


現在の経済学は種間に形態的類似を観測する事の妥当性とか論争してるレベルなんだろうか?
いや、さすがにそれはないだろうという気がする。
すでに経済学におけるカール・リンネは生まれてるんだろう。
そして、チャールズ・ダーウィンも既に存在したんではないのかな?
誰がそうなのか、存命なのか、とっくに亡くなってるかは知らんけど。



id:himaginary氏のブログでとり上げられていた「マクロ経済学と気象学の比較」
気象理論と違って、経済理論の場合、仮説から前期・今期の差分方程式を書いても、現実の経済状況に当てはめるためには境界条件を決定する観測が困難なのかも。
観測点を無数に持てば(そして計算機の計算力を持てば)解決する(ちゃんと明日の天気が予報できる)気象学とは違う…。
と書いたところでやっと思い当たったけど(頭悪い?)、このエントリで念頭にあるのは「天気予報」のレベルではなくて「地球温暖化予測」という不確実性が大きくて政治的な影響を受けやすい問題の事なんだろね。
経済学者が関心を持つのはまさにそういう問題だろうし。
観測誤差が大きいところで超長期の予測をおこなうのは確かに困難だ。
しかし、経済学の方程式は流体方程式ほどの妥当性が認められてるんだろうか?
観測の重要性がないがしろにされてるようだと、疑いの目で見ちゃうよね。



矢野先生のブログで読んだ「神は人類にノーバート・ウィーナーを与えたもう」で始まる一連のエントリは、さっぱり判らんかったけど(笑)、カルマンフィルターとかベイジアンとかキーワードが出ているんで、その理論を現実に適用するという手法であるにとどまらず、そもそもその理論が現実モデルにフィットする経済予測をおこないうる妥当な理論であるのか否かを直接検証できるのではないかしらんと思った。

*1:門外漢の私には判断不能ではあるけれど

*2:池田信夫ブログなんかはまさにそんな感じに見えちゃうんだけど

*3:それどころか観測量の選択の妥当性自体で論争になりそうだけど

*4:疑似科学と科学の哲学』伊勢田哲治名古屋大学出版会,2002

*5:ゲノム上の個々の蛋白質コード領域が未解明である以前にジャンクではない非コード領域の生理機構すら未だすべて明らかになったわけではないという状況で

*6:こういう状況を説明するのにポパーとかクーンよりやっぱりベイジアン科学哲学ってしっくり来る気がする