タバコの害は2シーベルト、その2


ごく微量の放射線の害というのは、食べた毒が少しづつ蓄積されて段々不健康になるというような性質のものではない。
ほとんどの放射線による確率的な変異は、体内の防御機構ですみやかに除去されるだろう。
排泄速度を越える速度で有機重金属に汚染された食物を摂取し続けたりするのとかとはそこが違うように思う。


放射線によって増殖中の遺伝子に傷がつき、その修復過程にミスが発生し、アポトーシスを起こす遺伝子が変異し、異常蛋白質を検知する免疫機構の攻撃も免れ、血管誘導遺伝子が異常に活性化し、細胞間接着因子が以上に活性化して浸潤を起こし――というような変異が運悪く*1局所的な細胞群に蓄積して――癌が発生する。*2


前回、貰い事故で亡くなる確率は無視できないと書いた。


我々の暮らしには危険が満ちている。


横断歩道に車が突っ込んでくるかもしれないし、坂道で自転車にはねられるかもしれない。
食べたアレルゲンのアナフィラキシーショックであっさり死んでしまう可能性だってゼロじゃない。
ユッケ食べるのも危険がいっぱいだ。


それでもなぜなんとか安心して生きていられるのかといえば、逆説的だけど我々の生に限りがあるからなんだろう。


たとえば、健康なら1000年生きるのが普通だとしよう。
現在の30代後半の年間死亡率はざっと0.1%
これが1000年続くとしよう。
そうすると、健康に寿命をまっとうできる人の割合は、(1-0.001)の1000乗=0.3677。
三分の二の人は何らかの事故や病気、自殺などで死んでしまう。
ちなみに、これが100年しか続かないなら、9割の人は寿命をまっとうする。


ずいぶん昔読んだSF短編で、不老長寿になる遺伝子改変を発見して自分に適用したとたんに精神的に不安定になる話があった。
皆が無視してる不安にさいなまれて。
ビルの玄関から外に出られない。上から物が落ちてくるかもしれないから。
人生がとてつもなく長ければ、いずれは遭遇してしまう不慮の事故――。


貰い事故で亡くなる確率が無視できなくても、我々は普通に車を運転する。*3


100km運転する毎の死亡率の表を見せられても、普通、運転をやめたりはしない。
なぜか?
へたくそとか無謀な若者が死亡率を上げているに決まってるから。
へたくそでも無謀運転でもない俺が事故に遭う確率はそれよりずっと小さいに決まっている。
多くの人はそう考える。
そして、それは、そんなに間違った考えではないと思う。
保険会社もそう考えて、保険料を割引したりする。


微量放射線の危険性も似たようなところがあるんだと思う。
人によって危険度が高い人もいれば、小さい人もいる。
年中タバコをすってるとか、牛肉大好きで大腸の細胞に変異を蓄積してる人とかの方が多分それだけリスクが高い。
だから、「そういう人」以外は、500ミリシーベルトでの疫学的な死亡率から外挿した推定死亡率の表とか見せられてもそんなに心配する必要はないんだ。
「そういう人」だって、車は運転してる。
自分は「そういう人」だって自覚してたら運転しないよね。
そもそも「そういう人」のリスクだってずいぶん低いんだ。
限られた寿命の中では。
心配して病気になるリスクの方がずっと高い。


安心したまえ。
心配している間に別の要因で寿命が来るから。


だから、あんまりクヨクヨ心配すんな!


――と、個人的見解を開陳してみる。
そんなに間違ってはいないんじゃないかと思うんだが。
少なくとも交通時事故で毎年何千人も亡くなってるのに我が子を乗せて車を運転するだけの無謀さがあるなら微量の放射線を心配するのはリスク評価を間違えているんじゃないかと思う。


今日、知り合いの友人の妻子が東京近郊からはるばる南の島に疎開したという話を聞いた。
それで、安心を得られるなら、それも良い選択だろうと思う。
でも、住みなれた地域、学校の友人や父親から引き離されることが本当に正しい選択なのか、おいらにはどうにも難しすぎる。
まずは正しくリスクを評価出来るような説得力が欲しいもんだと思う。

*1:確率過程だ

*2:体内被曝なら単一の放射性原子が単一の細胞を傷害し続けるんじゃないかとも考えられるけど、一度放射線を出して崩壊(それ自体も確率過程だが)すれば核種が変化して細胞内に安定的に存在し得なくなる事まで考える必要があるだろう。

*3:まあ、俺は免許ないからしないんだけど

タバコの害は2シーベルト。僕らはみんな加害者かも

東京電力福島第1原発から流出した放射性物質放射能)による健康被害への不安が広がるなか、放射線による発がんリスクが出始めるとされる年間100ミリシーベルトを浴びた場合、そのリスクは、受動喫煙や野菜不足とほぼ同程度であることが30日、国立がん研究センター(東京)の調べで分かった。

【放射能漏れ】年間100ミリシーベルト被曝の発がんリスク 受動喫煙・野菜不足と同程度 - MSN産経ニュース

なんで新聞ってのはこう、既知の事項を新事実のように書くのかね?
国立公文書館で公開されてた文書を、研究者が発見!とか書くのと同じノリか?


まあ、これによると、喫煙の害は年間2000ミリシーベルトなんだそうな。


この「ニュース」に対しては、えらい肯定的なブログとか、逆に頭ごなしに否定的なブログとか見かけるんだが、どうも確率的事象の扱いというか考え方ってのにやっぱり慣れてないのかなと感じる。この「ニュース」記事を眉唾!と断じながら同じ文章の中で、政府の政策に批判的に見える他のプロ文筆家の文章を褒めちゃうとかね。その文も確率事象である事を認めているのは同じなんだが。その上で保守的に考えるべきだと書いてるわけで。


いっそ、ここは逆にさまざまな事柄の健康リスクをシーベルトで言い換えるってのはどうだろう?
もうみんなうんざりするくらいシーベルトはお馴染みになってることだし。


「君、運動不足は1000ミリシーベルト(/年間)だよ」って具合に使う。

「おまえ、いつまでも身を固めないでふらふらしてると3000ミリシーベルトだぞ」ってね。

車で毎日20キロを通勤してると、貰い事故で亡くなる確率が、200ミリシーベルト/年、とか(もちろん、数値は適当)
最近のサ○クスのお弁当シリーズは、動物性蛋白と精製度の高い炭水化物ばっかで構成されてるんで発ガンリスクが500ミリシーベルト(/年間)増加だよ、みたいな。(同じく)


閾値*1と線形説*2に分けて解説する方法の問題点は、人はそれぞれ抵抗力にも個性があるという点。
元々遺伝的に発ガンリスクが高い人は、ガンマ線の一照射がガン化の最後の*3引き金を引いてしまうかもしれない。
おそらく真実は閾値説と線形説の間のどこかにある。
だから、福島の事故が原因の一部になり、癌になる人は必ず出てくるのではないだろうか。
だけど癌死亡率の増加というわかりやすい形になるかどうかはかなり怪しい。国民の半数がいずれ癌になるこの国でそれが統計にうずもれてしまう可能性は高い。


その程度で済んでほしい。
3月15日の未明から福島上空を通過した高気圧によって南北に撒き散らされた放射線の影響は。
そして、その程度で済んだ場合、因果関係の立証と保障の問題はとても難しいものになるだろう。


1998年に、前年まで2万人前後で推移していた年間の自殺者数が1万人増加して3万人台になった
以降十数年、自殺者数は高止まりしたままだ。
この年はその前年から翌年にかけていろいろな事があった。消費税率アップ、拓銀破綻、山一證券破綻、アジア通貨危機、労働者派遣法改正…。
もしこの長期不況が、丹羽春喜先生などが言っていたように通貨供給量の増大させる政策で解消する需給ギャップだけの問題だったとするなら、単にお金を刷ってばら撒いてインフレにするだけで解決する問題だったとするなら、政府日銀は10万人を殺したということにならないだろうか?


今般の定期点検休止原発の再開問題がいろいろ取り沙汰されている。
ひとつ間違いがない事は、このまま休止中の原発が再開されなければ、国のGDPを押し下げ、景気を冷やし、製造業の国外移転を即し、ひいては年間の自殺者数を維持、あるいは悪化させるということだ。
経済のしわ寄せは弱者に一番強く襲いかかる。
因果関係は立証できない。
さて、これらの無名の死に対して、政府には責任はないんだろうか?


フクシマが起きるまで安閑と電気を使っていた我々が簡単に原発再開反対と叫ぶ資格があるのだろうか?


事故の代償が大きすぎる現在の原発依存から脱する工程を考えるのは大切だろう。
だが、感情に任せて休止原発を再開させないというのでは、我々自身が加害者になる恐れがあるのではないだろうか?

【社説】国の原発再稼働要請 未来図を国民に示せ

2011年6月21日

 現在停止中の原発について、菅直人首相が「安全対策が適切に整ったので、再稼働すべし」という方針を明らかにした。脱原発は、本気でしょうか。

 「ありえない」。福島から、原発周辺の住民から、そして多くの自治体の長からも、驚きの声が相次いだ。

東京新聞:国の原発再稼働要請 未来図を国民に示せ:社説・コラム(TOKYO Web)

*1:遺伝子修復機構や活性酸素除去機能、アポトーシスなどの人体の様々な防御機構が働くことから、ある一定以下の低線量放射線は人体に害を及ぼさないとする説

*2:統計的に解析できる高線量放射線での発ガンリスクの推移を、統計誤差にうずもれてしまう低線量側に外挿して考える――どんなに小さい放射線でも発ガンリスクは計算できると考える

*3:癌化は今のところ一遺伝子だけの変異では起きないと考えられているよね。何段階かの変異を経ないといけない

3.11と想定外と自己責任


通常、河川堤防などの防災施設は数十年オーダーでの台風などの被害を抑えられる事を念頭に設計施工されるのだと思う。
今回の震災のような数百〜1000年オーダーでしか起こらないような稀な事象による大規模な災害は想定されていない。
そこには被害と対策費用を天秤に掛ける経済原則が働いているはずだ。*1


100年に一度の洪水を防ぐスーパー堤防を無駄だと考えていた人々が1000年に一度の津波対策施設の建設許容しただろうか?
高コストはいずれ何らかの形――税金でなければ物やサービスの価格の形――で人々が負わなければならないのだから。


動画サイトや巨大掲示板等で逃げなかった人を非難するコメントや、低地に住宅を立てていた事を非難するコメントをかなり高頻度で目にする。
賞味期限の偽装程度で大騒ぎしていたこの国で2万人が死んだ。
その衝撃が心情的に受け入れられないのだろうか?
岩手県宮古市姉吉地区にある大津浪記念碑「此処より下に家を建てるな」について報じられると、裏付けを得たかのように非難のオンパレード。
彼らは海岸付近とか田んぼを埋め立てた造成地や氾濫原には住居を構えてたりしないのだろうか?そもそも日本の平地は、ほぼ例外なく河川の氾濫原だと思うのだが。1000年オーダーで考えれば、氾濫して伊勢湾台風を軽く超えるような被害がでる可能性は高いだろう。



上にあげた二枚の写真はどちらも1945年の釜石だ。
7月14日と8月9日の二回、米海軍第三艦隊、そして米海軍・英連邦海軍の混成艦隊の艦砲射撃を受けた。
41センチ砲を中心として5000発を超える砲弾が製鉄所を中心とする市街地に打ち込まれた。
市街地の殆んどの地域が被災し、被災4,543世帯、被災人員16,992人、死者750余名。


当時の人口は現在と同程度の4万人。
今回の震災での釜石市の死者行方不明者は1300人を越えた。
戦後の大合併で現在の釜石市の市域はずっと広がってるので*2、当時の市域での人的被害は同程度だったのかもしれない。


1000年に一度の自然災害に対して対策を要するのなら、1000年スパンで考えれば一度くらいは戦災にも遭うかもしれない。
現在考えられる戦争技術に対する住民の安全を図る施設を作るべきだ!くらいの事も言ってほしいものだと思う。


福島第一原発については別に考える必要があると思う。アメリカの原発立地の施設基準は過去一万年に起きた自然災害に耐えられるものなんだそうだ。実際には地質調査も完全ではなくなかなか想定が難しいわけではあるが。日本では、この地震国で「過去一万年」なんて文言が法律に入ると、反原発運動の標的にされるとか考えたのだろうか?

…(略)…単純に言えば日本には「何がなんでも原発を推進する原発推進派」と「何がなんでも反対する反・脱原発派」がいて、これまでも議論が噛み合わないまま原発建設が進められてきた。中間派の存在感が薄く、両派の議論はあたかも空中戦になりがちである。

しかし両派にとって自分達の言い分が正しいかどうかは必ずしも重要ではない。いかに自分達の味方を増やすかが最大の関心事である。つまり両派のやっていることは世論工作であり世論操作である。

経済コラムマガジン

*1:あるいはコンクリート設備なら100年程度の耐用年数が想定されていることもあるかもしれない。つまり作った以上は一度くらいは役に立つと想定される事が納税者に対する説明として必要だと行政は考えている?

*2:ピーク時の人口は約9万人

パニック日記

 政府の人間は、「発表を遅らせたおかげで、不要なパニックを引き起こさずに済んだ」というふうに考えていることだろう。
 メディアの中にも内心でそう考えている人々は少なくないと思う。

 しかしながら、政府および東電は、初期の混乱を回避した代わりに、もっと大切なものを失っている。この点を見逃してはならない。

パニック回避の代わりに彼らが失ったもの:日経ビジネスオンライン

確かにそういう面は考えられる。
だけど、未然に防いだ事があったとしても、それは永久に判らないんだ。

でも、そんな彼らより、もっとひどい目に遭った英雄たちがいる。人知れず大災害を未然に防いで私たちの命を救った哀しい英雄たちだ。彼らは足跡を残さないし、自分たちが大きな貢献をしたことさえ気づかない。

ナシーム・ニコラス・タレブブラック・スワン』−


3月11日
おいらが最初にパニックの兆候を目撃したのは、地震の1時間ほど後だったと思う。
長く激しい揺れが収まって、高層階からの長い階段を下りて地上に出ると、そこにはスーツ姿の大勢の人々が立ちつくしていた。
そこまではいい。
仕事場の皆がまだそろっていなかったので探しに回ったとき、喉が渇いたので缶コーヒーでも買おうと近くのコンビニに入った。
レジには今まで見た事もない長い行列ができていた。
人々は両手やカゴいっぱいにカップ麺やペットボトルを抱えていたように思う。


3月13日
次に気付いたのは、翌々日、日曜日。
毎週買い物に行っているショッピングセンターの中のホームセンター。
ふと好奇心から防災グッズのコーナーを見にいくと、棚が空になっている。
震災後に買いに行っても遅かろうに。
苦笑しながらも――しかし余震は怖いし、そういえばカセットコンロのボンベは在庫があったかな?と気になりだすおいら。
店員に聞くとボンベどころかコンロも売り切れだという。
なるほど。
するっていと…
――やっぱり、電池の棚も品薄になってる。単一は売り切れ。単二も残り少ない。
――普段ならうずたかく積まれているトイレットペーパーも半減している。


パニック買いだ。


第二次石油ショックの再来だ。
――だが、まだ初期だ。

ものがなくなりだすのはこれからだ。
あのときは、石油と直接関係のない紙製品が高騰した。
トイレットペーパーが店頭から姿を消した。
――うわさによるパニック。


美人投票という言葉が頭をかすめる。
皆が買占めに走るだろうと皆が考えれば、その対象は市場から払底してしまうだろう。


前日、既に福島第一原発1号機の建屋が水素爆発を起こし、避難指示は半径20キロに拡大されていた。

これは、この店に限定されている現象なのか?
そのあと、街中のスーパーや小売店を自転車で走り回ってみた。


すべての店でカセットボンベが消えている。もちろんカセットコンロ自体も。
電池は稀少。
トイレットペーパーは、まだ普段どおりの店もあった。――まだ。
店の人に聞くと、どうやら12日には既に始まっていたようだ。
なんらかの噂が広がっているのは間違いなさそうだ。



3月20日のスーパー、パン売り場


3月14日
翌月曜日、出社。
出社できた人間は数えるほど。
テレビをつけっぱなしにしておく。


たぶん、昼休み後まもなくの頃だったと思うが、2号機冷却水全喪失のニュースが流れる。*1
正直、エライこっちゃと思った。
――メルトダウン*2


11日夜からずっと天気図を見るのを日課にしていた*3
14日夜、予報天気図を見ると、福島近辺は弱いながら北東の風が予想できるように思えた。
嫌な予感がした。*4


3月15日
翌朝、天気図を見る。
間違いなさそうだ。
阿武隈山地に阻まれた風が南下して北関東に吹き込むイメージ。
テレビでは2号機の圧力抑制室の圧力低下が報じられていた。
――格納容器の破損か?
福島からの距離を調べる。東京に到達するのは夕刻くらいだろうか?*5
テレビはもちろん、抑制的な報道をしている。
しかしやがて放射性物質は風に運ばれて関東に達するだろう。
事実報道は抑制されていないようだ。いずれ報道される。
日曜日のスーパーで既に噂に流される人々の行動を目撃していた。
ターミナル駅や空港に殺到する群衆のイメージが頭をよぎる。


もともとおぼつかない知識+ネットで仕入れた付け焼刃な知識で考える。
圧力容器が爆発でもしない限り、東京への影響は限定的だろう。
しかし、子供達への影響はどうか?
風は北関東に吹き込むだろう。




ホームに上がりながら、群馬に住む妹に電話した。
「子供達は学校に行った?」
既に出かけたという。それはそうだ。登校時刻を過ぎている。
「どうしたの?」
妹の声に懸念が混じる。
「風向きが悪い」



5月になってから公開された3月15日朝のSPEEDI予測画像、NHKニュースより


――その日、心配していたパニック*6は起こらなかった。
残念ながら関東の放射線量は急増したが、予想の範囲内ではあった。
心配する妹は、夫がなだめてくれたようだ。
フォローのメールを入れる。
無用な心配を掛けてしまった。それでも危険の可能性はあったのだから間違った事をしたわけではないと思いなおす。


それまでは、できるだけ専門的と思われるサイトしか見てこなかったが、2ちゃんねるまとめサイトとか見てみると、疑心暗鬼な書き込みが渦巻いていた。
Twitterも酷かったようだ。



今になって、当初報道より深刻な事態だった事が東電から発表されるようになってきている。
もしこれらが当初から報道されていたらどうなったか?
これらの事実が当時どの程度わかっていたのか不明だが、注意深い人なら燃料棒の溶融の予測も、放射能分布によらない20キロ退避圏の意味(想定される最悪事態)も読み取れていたように思う。
これらが基礎知識のない一般の市民に対して抑制無く報道されていたらどうだったのか?
3号機爆発から自衛隊の撤収を契機にして*7双葉病院の緊急避難で起きた悲劇のようなことがさらに広範囲で起きていた可能性はなかったか。
(ふと思った事。民放はほとんど追っかけてなかったのでよく判らないが、当初のセンセーショナルな報道が双葉病院の事があってから抑制的な報道に変わったなんて事はないんだろうか?)
あの頃、外国人だけでなく、相当数の人々が「首都圏脱出」していたようだ。


もちろん、事実関係の発表に隠蔽があったとしたら、大きな問題だ。
当時予測しうる事態に対して適切な対処が放置されていたとしたらそれも問題だろう。
しかし、想定されるパニックを未然に防ぐという事もまた適切な対処と考えても良いのではないだろうか?

*1:ググってみると、正確には「冷却機能喪失」のニュースだったよう。NHKだったとおもう。夜に「燃料棒全露出」のニュースが流れたようだ。

*2:6月5日放映のNHKスペシャル原発事故・危機はなぜ深刻化したか 第1回」によると、この夜、福島第一原発では、吉田所長が廊下で休んでいる協力会社の作業員達に声をかけてまわっっていた。「皆さん今までいろいろありがとう。努力したけど状況はあまりよくない。みなさんがここから出るのは止めません」...社員ら70人以上を残して、200人以上が福島第一原発を去った。

*3:13日午後には福島沖の高気圧を巡る風が南から吹き上げ、宮城あたりで西に向きを変える様に吹いていた。女川原発で福島のものと思われる放射線を検出との報道があった。あるいは飯館村の高汚染地域はこのときの風と、報道されているような雨が原因なんだろうか。

*4:それまで福島から関東に向かう風は無かった。大量放出が、あと半日、前後にずれていたら、汚染範囲はまったく異なっていただろう

*5:実際には昼休みにニュースをチェックしたときには既に関東での放射線量の増加が報道されていた

*6:当時の自分の「はてブ」を見返していて笑ってしまったのだが、大量に見ていたサイトのブクマを一切していない。自分のブクマすら風評になるのを恐れていた。まあ、見たサイトは履歴を含めてタブブラウザが記憶していたからではあるのだが。見る価値があると思われるサイトのURLはクローズドのメーリングリストにポストしてたし

*7:時系列から考えると、病院に残っていた自衛隊員が去った命令は3号機爆発による全隊員撤収命令だと思う。そして自衛隊の救援は来ず、院長は警官に避難させられた

東北地方太平洋沖地震による岩手・宮城両県の年代別死亡者数

とりあえず、あげてみる。
岩手県は、明治三陸津波昭和三陸津波で大きな被害があった。
宮城県は江戸時代はじめ以来、400年間大きな津波は無かった。
何か違いが見えてくるだろうか?

岩手



宮城



ソース:

岩手
http://www.47news.jp/47topics/eastjapan_quake/shinsai_list_iwate.pdf*1
http://www.pref.iwate.jp/~hp0351/jinkoudoutai/2009/gaikyou2.xls*2

宮城
http://www.47news.jp/47topics/eastjapan_quake/shinsai_list_miyagi.pdf

*1:内陸部で亡くなった方を含む

*2:年齢階級別人口から沿岸部のみ抽出

防潮堤の復興

土木学会は7日、仙台市内で記者会見し、東日本大震災の被害に関する第1次総合調査について報告した。津波被害について調査団長の阪田憲次会長は「全部を(堤防など)力で押さえ込もうするのは無理だということが今回はっきりした」と語った

時事ドットコム:「津波の押さえ込みは無理」=被害を調査−土木学会

少なくとも三陸沿岸では海洋プレートの沈込帯のエネルギーは大きく解放されたと言っていいのではないだろうか。
従って、今回のような大規模な津波が100年オーダーでの近い将来に起きる可能性は低く、従来型の防潮堤の再建で津波が防げる可能性は大きいと思う。*1
既に地震が起きてエネルギーが解放された地域で、千年に一度を想定した防災対策を行うのは非現実的ではないだろうか? *2


そもそも人的被害を考えるだけでも、千年に一度を想定すれば、現在とは大きく対策規模が変わるい災害は津波にとどまらないだろう。
千年に一度を想定しなければならないなら、たとえ避難対策を優先するとしても非現実的な費用が掛かる可能性がある。
もちろん、今回を教訓として今後の防災対策の考え方を見直す動きは続いていくだろうし、そうすべきだとも思うが、あまりの被害の甚大さに慄いて、理性的・効果的な対応を行えなくなるとか過剰な対策をおこなう事で地域を疲弊させるといった事態は避けてもらいたいものだと願う。



今後対策を強化して行くべきはむしろ関東以西ではないだろうか。

こちらの地域は全然プレート境界にたまり続けている歪が解放されていないわけだし。スマトラ沖・チリ沖、それに今回と短い間隔で続けて巨大地震が起きている事は、偶然かどうか見極めている時間はないように思う。
東海・南海・東南海連動型地震の可能性は千年に一度の確率といって済ませられる問題ではなくなっているかもしれない。特に関東以西の原発は早急な対策が必要に思う。*3
また、地域住民の防災対策もすべて再考が必要だろうね。当たり前だけど。

  • 防潮堤は役立たなかったのか?

今回被害を免れた岩手県普代村のような15メートル以上もある防潮堤を長大な海岸線に築くのはさすがに無理ではないかと思う。


しかし、津波を防ぎきれなかった防波堤でも効果はあったはずだ。
おそらく今後の調査で明らかになっていくのだと思うが、防潮設備の相違が街の破壊の多寡に影響していた面はあるのではないかと思う。(もちろん津波の干渉も考えられるが、どの程度の影響を及ぼしたのかも今後の調査が待たれるところ。むりやり想像してみると、長さ500キロもの海岸線に平行する幅200キロにも震源域からの非常に長波長の津波が押し寄せたのだから、干渉によって被害が小さかった地域は相当限定的なのではないだろうか?)


岩手県釜石市の湾口防波堤は、津波によって堤頂のケーソンが破壊されたようだが、まったく役立たなかったわけではない。
市街地中心に住んでいた私の親族は、自宅三階に逃げて助かっている。二階もひざくらいの高さ程度まで浸水したが激流で二階の家財が押し流されたというわけではなかったようだ。*4
港湾空港技術研究所のシミュレーションによれば、湾口防波堤がなかった場合の津波高は13.7メートルだったはずものが8メートルにまで低減したという事だから、まさに防波堤に助けられたと言っていい様に思う。(釜石防波堤は大きな水位差や流速で被災の可能性 :日本経済新聞
報道写真などで見る限り近隣の木造建築も多くは流出せず原形をとどめて建っている。

別の親族はさらに数キロ上流の市街地(釜石は平地が狭隘なので市街地が東西に細長い)に住んでいたが、自宅は被害を受けなかった。シミュレーションによれば、湾口防波堤がなかった場合、こちらも津波に飲み込まれていた可能性が高い


宮城県石巻市でも防潮堤が生死を分けたというようなチャットがはてな匿名ダイアリーで紹介されていた。
以下はそれをまとめたブログ。
【東北地方太平洋沖地震】堤防・テトラポットなどの消波機能の有無が生死を分けた様子 - 脳内新聞(ソース版)
以下は、航空写真から検証したブログ。
宮城県石巻市・渡波海岸の防波堤は津波を食い止めた? 高解像度航空写真で検証 - Celestial Spells
チャット上で後ろから回りこんできたと言っているのは、やはり旧北上川を遡上した津波が河岸の堤防を越えたということなんだろう。土地勘がないのでチャットの内容からは良くわからないが。
被災地発:石巻市街地の被害甚大、旧北上川を津波が遡上|日経BP社 ケンプラッツ


上のリンク先のチャットで出てくる気仙沼市は、昨年のチリ地震津波でも防潮堤未整備ゆえに市街地への津波の侵入を許していたようだ。下のリンクは宮城県気仙沼防潮堤建設に関するパブリックコメント用の資料
宮城県/広域気仙沼・本吉圏/気仙沼地方振興事務所/水産漁港部/気仙沼漁港海岸
資料を見ると海面から3.7メートルの防潮堤を考えていたようだ。
今後、建設するとしても、海面から3.7メートルというのは低すぎるように思う。
少なくともマグニチュード8クラスの地震津波を防ぐ規模が欲しい。
長期不況で予算が逼迫する中、土木事業が縮小傾向にあるが、大規模な復興国債の発行なりで手当てして欲しいものだと思う。復興国債に限定し、過度のインフレを刺激しない期間で消化していくようにすれば、日銀引き受けもアリではないだろうか?
未だ輸出競争力があるうちなら、過度の円安に陥るとは考えられないし、適度な円安は輸出競争力を高めて、公共事業による刺激と共に日本経済の復興に資するだろう。

*1:次に警戒すべきは米国北西部からカナダにかけての太平洋沿岸部だったりして。こちらは日本海溝の歪解放周期とは直接的な関係はないだろうから、太平洋を越えてくる巨大津波に備えて破壊された堤防の早急な再建が必要にも思える。

*2:千年に一度と言うが、今回と類似した被害域だったと推測される千年前の貞観地震の規模の推定も困難だし、千年前の貞観地震を今回、大きく上回った可能性もあるだろう。
地質的痕跡から、千年間隔で仙台平野が大規模な津波に襲われていたという推定もあるようだが、より広範囲の地質学的な調査を待たなければ、同規模の地震津波の今後の地震間隔の推定は難しいだろう事は留意。

*3:所詮素人の無責任な予想だけど、中央構造線だって活性化するかも?

*4:一定の効果はあった釜石の湾口防波堤 :日本経済新聞

東北太平洋沖地震津波・震源域

海外報道とか見てると、神戸の時もそうだったけど、あいかわらず、震源地点(震央(epicenter))を重視してる感じ*1
これはかなりダメだと思う。
震源は、断層の最初の割れ始め地点を、複数の地震計の揺れ始め時刻から逆算した到達時間(∝伝播距離)を使って三点測量で求めた点に過ぎない。
通常はジッパーを引きおろすように震源から断層が横に伸びていく。

岩石の破壊は震源となる場所一か所で起こるものではないので、岩石の破壊が最初に発生した場所を震源と言い、岩石が破壊した領域を震源域(しんげんいき、hypocentral region、focal region)と呼ぶ。震源域はその規模によって大きく異なり、場合によっては数百kmにおよぶこともある。地震学においては、震源域と断層面はほぼ同義である。

小規模な地震では震源域が極めて小さく、岩石破壊が震源に集中している場合も多い(ポイントソース)。逆に大規模な地震では震源域が広い。よくある誤解として、例えば兵庫県南部地震震源が淡路島であったことから、“淡路島で発生した地震で、やや離れた神戸に被害が大きかった”と考えてしまうことがあるが、この場合も“岩石の破壊が最初に発生した場所”である震源が淡路島であるにすぎない。実際に岩石の破壊した領域、すなわち震源域は神戸市の直下まで伸びていることが、余震分布などから明らかになっている。

震源 - Wikipedia

今回のような巨大地震では震源域は広大。
広大で、かつ、複合的*2だったから、想定外の規模(マグニチュード8.9)になったと思われる。*3
持続時間も通常想定されるより相当程度、長かったのではないか?
専門家の分析が待たれるけど。

 今回の地震では、太平洋側のきわめて広い範囲が強い揺れと大津波に襲われた。その原因として、三陸沖で発生した地震が隣接した領域で断層破壊などを誘発し、次々と地震を引き起こす「連動破壊」が起きた可能性が指摘されている。断層は震源を中心に南北400キロ・メートル、東西にも200キロ・メートルに及んだとみられる。

観測史上最大、阪神大震災の700倍エネルギー : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)


だからこそ、震源の仙台沖より、三陸沖からの津波の到達時間が短かったし、到達時刻も早かったのだと思う。


この震源域は余震分布から推定される。*4

阪神大震災の余震分布は比較的直線的だったけど、今回は長さが長いだけでなく、幅広い。恐らく沈み込み帯の広い範囲が動いた事が東西の幅の広さの原因だろう。
Wikipediaの参照してる図だと震源までの深さが判らないけど、陸地に近づくほど余震の震源が深くなる形で、断層面(�雎ね離廛譟璽箸搬舂Ε廛譟璽箸龍⑲Α砲⓲鳥覯修任④襪里任呂覆いʔ�


今回の地震は故郷を含む地域で起きた。
親類、知人、友人の肉親、そして地域の人々の無事と安寧を祈りたいと思う。


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2011.3.12 23:30現在、未だに気象庁震源・震度速報から岩手県沿岸部の情報が抜けている。験潮所だけでなく地震計のデータも取れてない…

*1:"2011 Sendai earthquake and tsunami"とか呼んでるし、地図にも震央しか載せてない

*2:少なくとも二つの断層面が動いた

*3:だからこそ、震央が震源域の端ではなく中央寄りになった?

*4:長野と新潟の地震が誘発地震かという憶測から東海域なども取りざたされてるけど。数年内とかの近い将来の危険は確かにあるかもしれない。かといって今日か明日かと即断して『今』食料を買いだめするような行為に走るべきではない